【西武ライオンズ】背番号ロンダリングの果てに。浅村選手、来年は背番号3?

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背番号3球団にお願い?

【西武】浅村、背番号3熱望も球団本部長「時期尚早」

ということで、球団側はその意志なし。といった感じですが、浅村選手は背番号3を契約更改時にお願いするみたいです。

西武ライオンズの背番号3と言ったら、近年はなんといっても「清原和博」「中島裕之」です。

西武の顔とも言える背番号かつ、鈴木本部長も「ウチの背番号3といえば実力はもちろん、私生活も含め立派な人間でなくてはならない」とのことですが・・・。

清原選手の現役時代ってそんなに「立派な私生活」というイメージがない気も・・・。

そんな背番号3ですが過去を遡ると、西鉄ライオンズ時代に首位打者3回、本塁打王3回、名球会入りもしてます、大下弘さん。

太平洋、クラウンライター、西武ライオンズ初期、近年は打撃コーチとしても有名な土井正博さん。

と、ビックネーム揃いですが、謎の時期もあるんですね。

それは、清原和博さんが巨人へ移籍した年からです。

背番号3は「期待の新人」であった玉野宏昌さんへ託されます。

この玉野宏昌さん打撃は確かに「清原2世」と呼べるものがあったのですが残念ながら、守備に難があり怪我も多く一軍定着できず、中日へトレード。

背番号も3年後には、別の選手へ・・・。

その選手がフェルナンデス選手。オリックス、楽天、西武と様々な球団を渡り歩いた助っ人外国人のあの方です。

更に翌年次は、マクレーン選手へ。

清原和博以降、じつは案外ほいほいといろんな選手に渡された背番号3。個人的に私はこの次期を「背番号ロンダリング」

と、呼んでいるのですが、これはきっと西武ライオンズが「清原和博」のイメージを払拭したいがための迷走期。と勝ってに位置づけています。

そして、ようやく「清原和博」の背番号3のイメージを変えたのは「ナカジ」だったわけですが・・・。

正直、中島選手も「力で獲得した」というには、当時背番号3になった頃はようやく1軍に出れるようになった時期です。

まして、松井稼頭央選手の後任ショートととして、「荷が重すぎる」と言われていました・・・。

そう考えると、「うーん、清原和博含め実力で背番号3をとったひとって居なくね?」

という気もします。

それは、「背番号ロンダリング」の成功の証でもあるきがするのですが。

おそらく、今後は「伝統の背番号3」という「ブランディング指向」なのかな・・・?

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